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  仏生山来迎院法然寺

 浄土宗の開祖、法然上人が1207年(建永2)、讃岐に配流されたとき、念仏三味道場を、生福寺[しょうふくじ]としたのが始まりとされる。1668年(寛文8)に遺跡をこの地に移して再興し、藩主松平家の菩堤寺として栄えた。三方を池に囲まれた1万5000坪の境内には多くの堂宇が立ち並び、三仏堂に安置された全長3mの木造の涅槃[ねはん]像は「讃岐の寝釈迦」として有名。     此れまでは散歩道の写真を撮リ溜めていただけで、これから中を拝観させて頂き写真を増やしていきます。 法然寺ホームページ

総門

 法然寺最初の門、格子戸が雨にぬれないように内側に門屋根の切妻と直行方向に切妻屋根が潜っている。

十王院

 右に蓮池(水の河)(現在小学校のグラウンド)、左に前池(火の河)、その間にある一本の細い白い道を通り抜けると、阿弥陀さまのいる極楽浄土にたどり着けるという「二河白道(にがびゃくどう)」のたとえを描き出した松並木の参道の入り口にある、昔菊花展が開かれていた。

黒門

 総門のように門扉が雨に濡れない様に小屋根が付いていますが内側の両側に小さく切妻でついています。

仁王門

 阿形・吽形の仁王像が広庭の参詣者を見据える仁王門をくぐると、万燈籠が参道両脇を埋め尽くしています。迫力ある仁王像は法然寺建立時の1674年作。大人ひとりが悠々胎内に入れる巨大さで、京の大仏師らの手によるすぐれた彫像です。(法然寺ホームページより)                 法然寺には四天王門跡も含めて7箇所の門がありますが全て形が違います。仁王門は柱が12本のどっしりとしたきれいな門です。

四天王門跡

 この門だけがありませんが柱跡を見ると大きな門で、さぞかし立派な門だったのでしょう。

男坂

 四天王門跡から二尊堂、二尊堂から鐘楼門、鐘楼門から来迎堂への急な石段。

ニ尊堂

  二階部分に阿弥陀と釈迦の二尊が祀られ、その下を通り抜けて石段が続くゲート状の建物。左右両翼に座禅堂とも思われる広い板間をもち、禅宗様式の影響がうかがえます。 天井の飛天と鳳凰、後壁の蓮池図が鮮やかな色彩をとどめており、木立にどっしりとたたずむ二尊堂に魅せられる人は多い。 (法然寺ホームページから)

鐘楼門

  門の左右上方に梵天と帝釈天が祀られ、昭和の文人が生んだ名鐘「平和の鐘」がいまも楼上から山中山下に朝夕の時を告げています。日本画家福田平八郎、歌人吉井勇、ともに法然寺ゆかりの人々です。 (法然寺ホームページから)

来迎堂

 石段を登り詰めたところが来迎堂。堂内金色の壁いちめんに二十五菩薩が楽器を奏で、歌い舞う極楽世界が広がります。二十五菩薩は絵画では知られる構図ですが、二十五菩薩すべてが立体構成される空間は珍しいとされています。(法然寺ホームページより)

般若台

  来迎堂の背後に開ける仏生山の山頂を般若台と呼びます。ここは歴代高松藩主一族の墓所。なかでもひときわ目をひくのが法然上人と初代松平頼重公の墓。遠く屋島を望み、讃岐平野を見下ろすように眠っています。 (法然寺ホームページより)

校倉

 入り口上に(古寶蔵 建築法は校倉式で俗に釘なし堂と云ひ堂内に 宗祖法然上人及び親鸞上人の御影を秘蔵す)とあります。

女坂

  北側の山腹から緩やかに降りる石畳の坂道、道筋に四国八十八ヶ所のご本尊を写した石仏の霊場を巡ることができる。

涅槃堂門

 三仏堂への門で両側に唐屋根が付いた門。

三仏堂

 法然寺の三仏堂(涅槃堂)内部には、釈迦入滅の様子が立体涅槃として再現されています。通称「讃岐の寝釈迦」と呼ばれる涅槃像を中心に、人物鳥獣52体がほぼ実物大で再現されています。(法然寺ホームページから)

忠学上人堂

 亡き母の幽霊が子育て飴を買い与え、赤ん坊をこの世に送り出したという話が関東に伝わる。赤ん坊は寺に預けられて育ち、東京・増上寺の高僧になったその人が忠学上人。高松藩三代・松平頼豊公が名声を聞いて法然寺第八代住職として招いた。上人の不思議な力が、お産で苦しむ人を次々と救った。境内良忠院の安産祈願とお守り札には忠学上人の遺言が託されている。(法然寺ホームページ)

幼学堂

 納骨堂

本堂

 小松生福寺伝来の、法然上人御作と伝えられる本尊を祀る本堂。明治40年再建。年中行事の舞台として昔から多くの参詣者で賑わってきた。堂内拝観は受付から書院、寺宝展示室、本堂から三仏堂へと廊下続きで見学できます。 (法然寺ホームページより)

寺宝展示室

 御霊屋

書院

 

栖霞亭

  讃岐有数の茶室のひとつ。毎年4月第2日曜の源英忌(頼重公の命日)にお茶会が開かれている。もとは「お成りの間」と呼ばれ、藩公が参詣される折りの休息所であった。かつては周囲に堀が巡らされており、手すり付きの回り縁からは屋島までの眺望が楽しめたという高殿造り。「栖霞亭」の額は半樵筆。天井は屋久島杉。三つ葉葵の金紋ちらしの火鉢や脇息に往時の面影が偲ばれる。 (法然寺ホームページから)

庫裡・受付

弘法大師堂

本堂門

その他

 法然寺を開創した頼重公は、同時に門前町を開発し、そこに高松藩中の製麺業者を集めた。平池の水で水車を回し、小麦粉を挽いて無利子で貸し付け、製麺を奨励した。お城の役人が出向いての検査・仲買システムもできあがり、仏生山の人びとはみな麺づくりに精を出した。これが「さぬきうどん」の発祥。うどんが「文化」になる時代を、頼重公はお見通しだった?